記事一覧

寄付を活用できないか

ちなみに、最近の政治村でよく使われるロジックは、「負担を大きくする代わりに、給付をちゃんと行いますから、老後は安心です」「安心な老後が保障されれば高齢者はもっとお金を使うので、そのほうが景気にもプラス。結果的に税収も増えて、財政再建にもプラス」というものだが、これは一〇〇%嘘である。消費税を仮に一〇%にアップしても、年金給付は増えないどころか、いまのままでは財源不足のままである。また、日本の高齢者の行動様式のリアリズムとして、社会保障制度への信頼感と金遣いの積極性には、どう見ても相関性はない。もしあるならば、前章で述べたように、恵まれたサラリーマン生活を全うし、蓄えもあり、公的年金も企業年金もたっぷりもらえている一部の高齢者たちが、あれほど多くの預貯金を抱え込んだままあの世へ行くわけがない。

税金による再分配効果はほとんど期待できないとなると、ほかにどんな方法が考えられるだろうか。「寄付」を有効活用できないかという議論もある。寄付金については税金を控除して、所得移転を促そうということである。寄付というのは、一見すると美談なのだが、むやみに寄付を認めてしまうと、金持ちが相続税対策に悪用するおそれがある。「なんちゃって財団」のような組織をつくって、そこに多額の寄付をし、税金を逃れるという使われ方をしてしまうので、じつは運用が難しいのだ。

寄付が盛んな欧米では、そのような問題は起きないのだろうか。もちろん欧米にもやや怪しげな財団や寄付もある。ただ、彼らの寄付文化のベースには、もともとキリスト教などの宗教的なバックボーンに、長い歴史的な積み重ねが社会全体に根付いている。伝統的に社会システムのかなりの部分が、大金持ちだけでなく、もっと幅広い人々による、草の根の寄付活動に支えられているのだ。ハーバード大学は、もともと神父養成を目的として、個人の寄付から始まっているし、スタッフオート大学は早逝した一人息子を追悼して鉄道王スタンフォード夫妻によって設立された。だからいずれも教会は、大学にとって最も古い歴史と、最も重要な位置づけを持っている施設の一つである。

もちろんこうした寄付の中には、ストレートに言えば、厳しい競争で、いろいろな敵も叩きのめしながら成功した人々が、「天国の門を開けるカギ」を買うためにやっている部分もあるだろう。いずれにせよ、神様が見つめている下で行われるという性格づけが強い中で、「あまり変なふうに寄付を悪用すると、神様が見ているので、天国へ行けなくなってしまう」という心理的な統制が働いているので、寄付の悪用には一定のブレーキがかかっている可能性は高いように思う。だが、日本の場合は、そういう心理的な統制は弱いので、同列には論じられないところがある。だから、どうやってバランスを取るかが重要なのだ。たとえば、自分の家族や親族が理事を務めている団体への寄付は認めないとか、団体の理事職の世襲や親族での継承を認めないとか、そういうレギュレーションデザインが必要になるだろう。

「たとえば貧困対策に使われるなら納得」あともう一つの方法は、先ほど出た、所得税の累進課税を強化する話に関連するものだ。どうせ累進率を上げるのであれば、一定以上のところは、使途を納税者に決めさせればいいと思う。たとえば税率三〇%まで、用途は国が決めるけれども、それを超えた分については、「自分の税金は教育分野以外には使わせない」など、納税者自らが税金の使途を指定できるようにする。すでに導入されている「ふるさと納税」の予算分野版とも言えるが、これだと、納得感は高いのではないか。国法で大きく一〇項目くらいメニューを決めて、納税者が「これとこれ」と選択すると、結果がコンピュータで集計されて、税金が振り分けられる。

高級クラブの駐車場にはゴミの山

少々意地悪に聞こえるだろうな、と思ったが、別の方向からも聞いてみた。「でも、マナーの問題なんか、本当はたいしたことではないでしょう。それより、賄賂をもらう役人とか、ウソをいう政府とか、国民がデモをやっただけで軍隊が出て弾圧するとか、そのほうが非文明的で野蛮じゃない」というと、彼女はそれを見事に無視して、「中国では、痰を吐くことを止めさせるとか、そういうことが大切でそれが文明です」といった。意地悪は、ここまでで止めることにした。たしかに痰吐きがいいとはいわないが、それもこれもこの国の文化の一部。われわれの価値観でとやかくいうのは、それこそ「内政干渉」ではないか、と思って、これまでは言及を控えてきた。しかし、痰吐きに類する、こ今した中国人の衛生観念は食の安全とは大いに関連があること。というわけで、あらためてこの「文明論」を考えてみることにした。

中国では、庶民が住む地域に足を踏み入れると、生活ゴミが路肩に放置されているという光景は珍しくない。それどころか、本来そんな物があるはずもない場所、たとえば町一番の高級クラブの駐車場の隅に生ゴミの山ができている。川沿いを車で走っていると、延々と「ゴミの川原」ができている。という光景を見ることもある。これは、ごみ収集という末端行政が機能していないということと、人々の感覚とが相倹っての結果である。人々の感覚の問題、この部分を中国政府は「文明的」に進化させようとしているのであろうが、これはかなり根が深いといえるだろう。そこにゴミがあふれていても何とも思わない、という感覚の問題。反対に、公共の場所はきれいにして皆で気持ちよく使おうよ、という意識の欠如。

書いてしまえば簡単なようだが、そもそも中国人は「公」を重んじる気持ちが私たちより格段に薄く、「汚物」に対する感覚が根本的に異なっているところがある。それがいちばん端的に表れているところがトイレである。中国の伝統的なトイレは、日本で「ニーハオトイレ」などといわれる。壁も入口のドアもないので、用を足す人同士「ニーハオ」と顔を見合わせるという意味だが、「ニーハオ」どころか、農村などでは、オバサン同士がペラペラおしゃべりしながら、ということも珍しくない。ところが、近年、北京五輪開催に向けた北京での「ニーハオトイレ撲滅運動」に呼応してか、多くの町でニフハオトイレが消滅している。それでも、たとえばレストランのトイレの壁が立ったときの胸くらいの高さまでしかなく、困ることもある。

上の開いている部分からおばさんが覗いて、「ねえ、紙ある?」などといわれ「キヤア」なんてことも珍しくない。しかし、近年、私がいちばん驚いたのはとある空港での出来事である。まだオープンしたばかりの新しいターミナルビルのトイレに入ったときのことである洗面所に入った途端、目の前に下半身を露にした加歳くらいの女の子が立っていた。「な、なぜ」と一瞬、こちらが固まったが、女の子は涼しい顔で隣に立つ(こちらはふつうの格好)同僚らしき女の子とペラペラおしゃべりをしていた。手元を見ると、彼女が下に履いているべきはずのものを持ち、洗面所に備え付けの洗った手を乾かすドライヤーで乾かしていた。何かの手違いで衣類が濡れてしまったのであろうが。

ほかにも、高級マンションの建つエリアを散策していたら、道端の街路樹の根元で子供に大便をさせている母親を見たこともある。こうした経験を経て、北京政府の「ニーハオトイレ撲滅運動」は、容易なものではないだろうと悟った。トイレに壁を付けたり、立派なトイレを建てるのは金で解決できる問題。本気で取り組むべきは、「心の中のニーハオトイレ撲滅寸であろうから。マフィアさながらのならず者。日本国民は冷笑した「日本製醤油への枇素混入」報道ちょうど本稿を執筆中であった2008年10月末~11月、以前から「いずれ起こるのではないか」と予想していた「事態」が案の定発生した。報道は次のようなものである。中国の国家品質監督検査検疫総局は、日本から輸入されたしょうゆから中国での許容基準の5倍を超えるヒ素が検出されたほか、(中略)いずれも天津の検疫当局が廃棄処分にし、市場には流通しなかった。(11月5日時事通信)

ウイグル人騒乱事件

カザフスタンには、公式統計でウイグル人が約三〇万人。非公認を含めると、その倍は居住している。キルギス、ウズベキスタンを合わせると、中央アジアに居住しているウイグル人は一〇〇万人を下らない。こうした中央アジア在住のウイグル人と新疆との交流がフリーになったことで、新疆のウイグル人に大きな影響をあたえているようだ。モスクワで知り合ったウイグル人女性(アルマトイ在住)は、東トルキスタン独立運動に心を寄せていた。彼女は中国の核実験によるカザフスタン・中国国境地帯のウイグル人核被害者の支援運動を行っていたが、「国境が開き、人と物の流れが自由になったことで、運動がやりやすくなった」と言っていた。

東トルキスタン独立運動の組織は大きなもので一四もあり、その潮流はさまざまで、独立運動の実行組織から自治権拡大を求める運動、そして情報収集ふ旦伝に専念する組織などがある。その一つに、ドイツのミュンヘンに拠点を置く「世界ウイグル会議」があるが、○七年秋にそのラビアーカーディル議長と東京で懇談した。彼女は中国人民政治協商会議委員を務めたことがあるが、現在はアメリカの首都ワシントンに亡命中である。彼女は「私たちは、今すぐに分離・独立することを求めてはいませんが、東トルキスタンの独立は当然のことです。ウイグル人なら、だれでもそのことを理解しています。あまり知られていませんが、新疆各地でいろんな運動が行われており、政府の弾圧を受けています。

ウイグル人に対する、ひどい差別が横行しており、重大な人権問題です。世界の人々に、ウイグル人問題を訴えていきたい。それが私たちの活動です」と語った。新疆各地で「爆発事件」が起きており、中国当局の取り締まりも厳しい。独立運動の文書類を所持しているとか、運動に同情的な言動をしただけで拘束される危険があるという。ラビアさんが心配していたことが、○九年七月に起きた。ウルムチでの「ウイグル人騒乱事件」である。ウイグル人と漢人との民族衝突も起きて、中国当局の発表によると死者約二〇〇人、負傷者千数百人という惨事になり、世界の耳目を集めた。しかし、この事件は単発的なものではなく、各地で散発的に起きている抗議運動の頂点をなすものだった。ウイグル独立問題は、ユ上フシアで高まっているチュルク系諸民族の台頭の潮流のなかで見ていくのが妥当だろう。

そして、カザフ人、ウズベク人らが独立を手にしたのは、ソ連邦中央政府の弱体化、ソ連邦解体のなかであったという事実は、示唆的である。新疆滞在中にも、そうした雰囲気を感じた。案内人がウイグル人青年で運転手が回族だったため、行く先々でウイグル食堂に立ち寄り、ウイグル人バザールを回った。二人ともイスラム教徒で、各地で再建されていたモスクも拝観した。表面的には、ウイグル人の独立運動の影は見えなかったものの、ウイグル人は漢人バザールに近づかないし、漢人はウイグル人バザールにもウイグル料理店にも姿を現さなかった。公的社会ではもちろん共働しているが、私的領域では融合どころか、別々に暮らしていると言える。

ウイグル人たちは、案内人もバザールの商人たちも「東トルキスタンーイスラム運動」について尋ねると、「それは聞かないでくれ」と、それまでの笑顔が凍りついたものだ。中国当局は上海協力機構を通じて、東ディトルキスタン独立運動の参加者をテロリストと決めつけ、中央アジア各国に「テロ根絶」への協力を求めている。この地域一帯におけるウイグル人の広がりから見て、ウイグル独立問題は新たなシルクロードの今後を左右する一つの鍵になりそうだ。中央アジア五力国(カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、タジキスタン、キルギス)は「地域」としてのユーラシアの要であり、それぞれ国家独立から二〇年近くが経ち、国民国家づくりの奮闘がつづいている。

中国企業の潜在力と可能性

格力は技術を重視しているメーカーであり、技術革新に向けてたゆまぬ努力を続けるであろうことは疑うべくもありません。むしろ当社も積極的に学ぶスタンスで付き合い、場合によっては先方の技術を享受させていただくこともあると考えています。互いに切磋琢磨しながら、互いに成長していければよいのです。このような考えから、汎用となっている技術については開示する意思決定をしたのです。いったん築き上げた技術にこだわるのではなく、次々と新しい技術を生み出すことがメーカーの使命です。技術陣にこの考えを徹底させ、意識改革を求めています。

次世代技術の研究開発にはいろいろな側面から取り組んでいますが、一つの例として、新材料の活用があります。パワーデバイスの半導体材料として現在はシリコンが使われていますが、これがシリコンカーバイドのような損失が極端に小さい材料へと置き換わると、エアコンや電気自動車の性能が飛躍的に向上します。この新デバイスの良さを最大限に引き出す方式をいち早く開発し、当社の新しい強み技術にしたいのです。技術のオープン化戦略はコア技術をすべて開示することではない。格力に対しても、究極の擦り合わせ技術はブラックボックスにして供与した。

これからは技術のオープン化戦略の巧拙も問われます。特に新しいモデル(製品・サービス)の立ち上げ期には技術をオープンにすることで市場を急速に立ち上げられます。例えば、米アップルはIPhoneのOSを開放し、アプリケーションをどんどん作らせています。そして、その豊富なアプリケーションが多くのユーザーを惹きつけ、IPhone、IPadなどのヒットを生み出しています。格力との共同開発では、基本技術は開示しています。温度制御技術、気流制御技術、室内機と室外機の通信技術や製品設計するうえでの設計図面などです。製品のプラットフォームについてはオープンにして共通化を進めます。一方、付加価値機能など独自性を発揮する部分は両社で特徴を持たせています。

そして、省子不競争のコアとなるインバータ技術は一部をブラックボックス化しています。圧縮機モーターを最適制御するためのインバータソフトウェアです。これは当社か長年かけて構築してきた擦り合わせ技術で、経験の積み重ねによるものです。これについてはソフトウェアの中身が解読されないブラックボックス化した状態で供給しており、格力電器にも共同開発機には使ってもらえますが、ほかの機種には使えないようにしています。私たちは世界水準より高い技術を持っています。それをいかにビジネスに生かすのか、TPOを考えながら開示を進めていきます。そのなかで、技術者同士が猛烈に競い合うことによって、よそではできない技術開発をさらに進めていく限り、企業は衰退しないと思います。

経済成長が著しい中国。巨大な中国市場に目を向ける日本企業は多いものの、中国企業の技術力に対してはイノベーションを生まないキャッチアップ型だとの声もある。中国企業の潜在力、可能性をどう見るのか。企業経営の観点から日本人にはメイドイン・チャイナ製品は「安かろう・悪かろう」という、品質に対する旧態依然とした先入観があります。とりわけ技術者にそうした思い込みが強いようです。そもそも「品質」をどのように認識。定義するのでしょうか。例えば韓国の家電製品には日本製品の模倣、安物の粗悪品といったイメージはありません。海外で売れるのは、現地の消費者が本当に望んでいる品質を備えているからにほかなりません。

アメリカ社会の表と裏

適用範囲の見直しはやる気になれば簡単だが、評価基準の明確化は口で言うほどたやすいことではない。私も、役所のいろいろな部局をはじめ、大使館、県庁、独立行政法人など様々な組織を経験し、そのなかで人事評価も行ってきた。部下の職員の勤務評定は、性格、能力、業績に大別されるいくつかの項目について、5段階の評価をつける方法がとられたが、この5段階評価が曲者だった。5にするのはわかりやすいが、3にするのか4にするのか、いつも判断に迷った。評価点の総合計によってボーナスなどに差がつくので、真剣に考えなければならないが、どうしても判断に逡巡してしまう。評価基準を明確にして評価するというのは成果主義を導入する際の前提だが、どうしてもそれかできないのだ。

明確で客観的な評価など、日本では実現不可能であることははじめから分かりきったことで、公正な成果主義評価など出来るはずがないというのか率直な感想だった。個人的には、客観的な正確性を期するなら、3段階に分けるくらいが精一杯だと思う。誰から見てもはっきり優れている人、普通の人、そして、誰が見ても出来か悪い人の3段階だ。そして優れた人には特別昇給を、出来ない人は据え置き、普通の人は年功序列制に従うとする。このような評価をすれば組織内で不満は出ない。大多数の人が中庸に分類され、年功序列か維持されるからだ。このような大雑把な評価に留めておげば、時間を無駄にすることも人間関係を悪くすることもなくチームワークの良さが発揮され、職場の生産性は高まるだろう。

年功序列制というのは、よく考えれば大変よくできた制度だ。若い頃は、それほど給料は要らない。子どもができれば親は金がかかる。大学生にもなれば相当の負担となる。金のかかる時期に給料が高くなっていなければ困る。仕事によって給料を決めれば、50代と40代でどれほどの差があるだろうか。同じような給料にされたら親はやっていけない。金が必要なとき会社か出してくれるという制度は悪くない。アメリカ流に言えば、若い頃たくさんもらい、うまく運用して、年をとってから使えばよい、という理屈になるのだろうが、金があれば使ってしまうのか人情だし、投資には危険を伴い、実際は損することも多い。ましてインフレにでもなれば、若い頃、汗水たらして稼いだ金が大したものではなくなってしまい個人の努力や責任ではどうにもならない。

そのようにして見れば、社会全体のシステムとして年功序列制は、人の一生にとって安全保障のよく効いた大変優れた制度なのだ。以上、見てきたようにアメリカ的なやり方の多くは、日本においてはかえって状況を悪化させる可能性がある。なぜだろうか?それは、アメリカ社会と日本社会か本質的に異なっているからである。文化、風土の上にあってこそ、その国のメカニズムがうまく機能するのであって、その土台を無視して上物だけを持ってきてもうまく機能しないのだ。稲は水田、メロンは砂地など、特定の土壌に特定の作物がうまく育つのと同じである。そこで、まずはアメリカとはいかなる文化的背景を持つ国なのかを見ていくこととしよう。

アメリカといえば、まず出てくるのが「自由」という言葉だろう。アメリカの人々も自国を象徴するものは何かと問われれば、まず自由と答えるだろう。ヨーロッパの伝統社会で自由な活動か縛られ、能力がありながら上流階級へ昇れず、金儲けをすることが許されない人々が、一旗揚げようと移住してつくった国がアメリカである。未知なる荒野で富を成そうとする情熱がなければ、野蛮な新大陸へ移住しようなどとは思わないだろうから、その意気込みは凄まじいものだったにちかいない。アメリカ人の体の中には先祖代々、外からの制約に反抗し、枠をぶち破り、自由な活動に執着せんとする遺伝子か脈々と受け継がれてきているのだろう。

社会主義圏の経済

南の国が自国資源を統制し、工業化を進展させるにつれ、一方では北の保護主義に直面し、他方では相互の市場が品質・規格などの面からより適当であるため、相互市場の開放が重要となっている。第三には、南の諸国の多くは植民地制度や独ま期に人工的に国境線を引かれ、十分な経済的規模を有していないため、市場規模の拡大が必要である。第四に、南の諸国が発展の道を歩みはじめるにつれ、世界銀行など従来の北の協力でカバーできない地方的ニーズにそった小計画、中間技術を用いる計画などの重要性がましてきたことである。

これらの理由によって、今後もさまざまな地域的・機能的秩序の形成の試みは増大するだろうし、その積重ねの上に新しい世界秩序の姿も定まってくるだろう。一九八九年を通じて、「社会主義国」とよばれる国々には大きな激動が起こった。すなわち、東欧諸国では第二次大戦後四〇年以上にわたって続いた共産党独裁体制が軒並みに崩壊し、ポーランドでは「連帯」、チェコスロバキアでは「市民フォーラム」、ハンガリーでは「民主フォーラム」など市民や労働者勢力の主導する諸政党が権力をにぎり、政治的には複数政党制、経済的には市場経済制度の導入に踏み切った。

ルーマニアではチャウシェスク大統領夫妻が銃殺されて、新しく救国戦線と名のる市民諸勢力の政党が政権の座についたし、ブルガリアでは共産党が衣がえした社会党が、社会民主主義化の舵をとることになった。東ドイツでは九〇年三月の選挙で、多くの観測者の予測に反して保守三派が勝利し、東西ドイツ再統一へのレールを敷いた。東欧でかつての共産党が政権の座を守っているのはユーゴスラビアとアルバニアだけとなった。しかし、ユーゴも今日民族問題に大きく揺れている。アジアでは中国で八九年六月の天安門事件をきっかけに保守派と改革派の対立が激化している。また韓ソ国交樹立をきっかけとして、北朝鮮も金丸前副総理を招待し、日本との国交正常化に踏み切った。モンゴルでも改革派が政権をにぎった。

これらの激動の背後には、社会主義圏の総本山ソ連経済の弱体化とペレストロイカ(改革)の導入がある。本章では社会主義経済の現状と、その直面する問題をみておこう。アメリカの評論家の中には、ソ連・東欧の変動により社会主義制度は終りを告げ(「歴史の終焉」)、資本主義制度に経済体制は一元化するとする議論もあるが、事態はけっしてそのように単純ではない。ここではまず、計画経済がどういう条件の下で必要とされたか、いくつかの社会主義制度のなかで、中央集権的計画経済はなぜ機能しなくなったか、東欧変革の要因は何か、を検討し、社会主義経済制度が「終焉」したのかどうかを考えることにしたい。

資本主義と社会主義とは、経済的な観点からすれば大きく相違する制度である。資本主義とは市場において財サービスの需要・供給により価格が決定され、この価格にしたがって資本・経営力・労働力・天然資源などの生産的諸資源の部門別投入・配分が決まってくる制度である。この制度の下では、独占などにより市場メカニズムが攬乱されないかぎり、諸資源の合理的な配分が保障される。ただしこの制度は、諸資源の保有響にとっては有利であるが、生産的諸資源を十分に保有していない人びと(社会的弱者とよばれる)にとって有利であるとはかぎらない。この制度の下では、社会的強者(資本家。地主、技術者・熟練労働者等)と社会的弱者(未熟練労働者、工業技術と無縁な農民、農業プロレタリア、女性等)の格差が生まれ、拡大するのが通常である。

アジア通貨危機はなぜ起こったのか

タイに端を発するアジア通貨危機はなぜ起こったのか。その背景や原因を特定するのはそれほど容易ではない。盛んになされた議論をみても


  1. 国際短期資金移動説(流動性危機説)

  2. 新型金融危機説

  3. 実物経済限界説

  4. 金融制度未発達説

などさまざまな見解があり、それぞれが将来の通貨危機を回避するために、異なる方策を提案していたからである。このうち、①の国際短期資金移動説は、投資資金を海外の短期資金に依存していたため、いったん通貨不安が起こると大量の資金が流出し、その結果、資金不足(流動性危機)に陥ったという議論である。このことはあとで見ていく。②の新型金融危機説は、貿易収支に貿易外収支(保険、海運、観光などの収支)を加えた「経常収支」の赤字を、資本収支の黒字がカバーするのではなく、資本収支自体も赤字になり、ダブル危機に発展した事実を重視する議論である。

一方、③の実物経済限界説は、国内の産業がいびつな発達をとげたため、工業製品の輸出が中間財・資本財の恒常的な輸入を誘発し、輸出が伸びても貿易赤字が続く現象に注目した議論である。また、アジア諸国が電子部品の輸出に依存する同質の貿易構造をとっていたため、半導体価格の下落といった外的ショックが発生すると、アジア地域全体で連鎖的に輸出不振が起きた事実も重視する。最後の④の金融制度未発達説は、企業金融に占める銀行借入がきわめて高く、しかも、銀行融資のモニタリングがずさんであった事実を重視する議論である。なお最後の説は、国際基準から見た不健全な企業経営(ファミリービジネスなど)と合わせて、国際機関からは「アジア的なやりかた」として厳しい批判を浴びた。これらの議論はもちろん相互に関連している。何より、国際的要因が危機の大きな原因になっていること、一国レベルの政策ではもはや問題を解決することができないと認識している点で、共通していた。

わたし自身は、通貨危機の直接の引き金は①にあり、より中長期的な原因は④にあったと考えたい。もっとも、④については「アジア的なやりかた」に問題があったのではなく、タイのように経済規模の小さい後発工業国が、国内の金融制度の整備を十分進めないまま、「中進国」への仲間入りを目指したという点を重視したい。1988年以降の経済ブームの中で、タイ政府は産業投資の自由化を進め、重化学工業化の促進を図った。もしも、この重化学工業向け投資の大半を外国企業が担ったとすれば、直接投資がその資金源となる。しかし、投資を担ったのは外国企業だけではなく、タイの財閥や大手企業も含まれる。彼らが旺盛な投資を続ける限り、必要な資金は銀行借入か株式発行を通じて調達することになり、同時に国内で不足する資金は海外に依存することになる。実際、1990年代初めには、名目GDPに対する投資の比率は45%にも達し、国内貯蓄の35%との間には大きな乖離が生じていた(いわゆる貯蓄・投資ギャップの拡大)。

このギャップを埋めるためには海外資金に頼るしかない。一方、当時のタイの企業や銀行には、自国通貨建てで債券を発行するだけの信用力はなく、資金調達は外貨建て、とりわけドル建ての契約で行われた。中央銀行がタイの通貨を実質的にドルにリンクさせていたことも、ドルによる資金の調達を容易にした。では、資金の貸し手である外国銀行はどうか。外国銀行は1980年代後半から、手持ちの資金を、金利が低迷する自国の金融市場ではなく、海外で運用することを考えていた。そこで浮上したのが、アジア、ラテンアメリカ、ロシア・東欧など、成長が見込める新興市場(エマーシング・マーケット)であった。ただし、新興国はいつ通貨不安や金融不安に陥るとも限らない。

そのため、貸し付けにあたっては1年以上の長期ではなく、3ヵ月とか6ヵ月で満期を迎える短期貸しの方を選好したのである。このことを、資金を借りるタイ企業の側からみると、外貨建てで借りて自国通貨のパーツに転換して運用し(通貨のミスマッチ)、短期で借りた資金を、外国銀行の同意のもと「借り換え」を繰り返しながら、実際には長期に運用していく(満期のミスマッチ)、という方法をとったことになる。しかし、一旦通貨不安や企業への不信が生まれると、短期資金は一斉に引き上げられるリスクを持っている。新興国に特有のこうしたリスクを、国際金融の世界では「通貨と満期のダブル・ミスマッチ」と呼んでいる。

妊娠という役割が不当に低く評価されている

生まれた子どもの遺伝上の母であり、妊娠・出産の母でもある。そして子どもを養育していく意志も能力もある。判決はスターン夫妻に養育権を認めるにあたって、スターン家の経済的な豊かさや教育にふさわしい環境を強調している。しかしホワイトヘッド家の状況もスターン家と比較すれば劣るかもしれないが、ごく普通の家庭なのである。それなのにメリー・ベス・ホワイトヘッドは、意志に反して子どもをスターン夫妻に引き渡さなければならないのだろうか。たしかに最高裁判決は、代理母契約は無効であるとしている。したがって契約を盾に、子どもの引渡しを求めることはできないという。

しかし「子どもの最善の利益」ということで、結局スターン夫妻に養育権が認められたのである。代理母契約の当事者を比較するならば、依頼する夫婦は代理母となる女性よりは一般に牒るかに上層の階級に属していて高所得、高学歴である。この判決のような基準で「子どもの最善の利益」を比較衡量するならば、ほとんどの場合依頼夫婦が子どもの養育権を獲得することになろう。妊娠・出産という九か月にわたる母の貢献、そしてその間に形成された母と子の絆。「子どもの撮善め利益」とは経済的な豊かさや知的な養育環境なのか、妊娠期間を通じて形成された母と子の絆なのかが間われている。

それでは体外受精型代理母で、依頼夫婦がともに生まれる子どもと遺伝的なつながりをもっている場合にはどうなるのだろうか。代理母は、子どもを九か月間にわたって自らの体内で育てるという、子どもの出生にとってかけがえのない貢献をする。しかし遺伝的なつながりはない。このような場合に、母とは遺伝上の母なのか、それとも出産の母なのかをめぐって争われたのがカルパート対ジョンソン事件である。裕福なカルパート夫妻は白人であり、妻は子宮を摘出していて妊娠できなかった。そこで妻と同じ職場で働いている黒人の看護婦アナージョソソンと代理出産契約を結んだ。夫妻の精子と卵を体外で受精させた受精卵で、ジョンソンが妊娠・出産し、夫妻の子どもを産んでもらうのと引き換えに、夫妻は一万ドルと医療費を支払おうというである。

しかしジョンソンは、妊娠七か月になった時に自分で子どもを育てたいと宣言、出産する前に子の養育権を求めて裁判を提起したのである。第一審の判決は、カルバート夫妻が、生まれた子どもと遺伝的な関係があるのだから、子どもの唯一の親であるとした。そして妊娠・出産したジョンソンの役割は、母親ができないときに好意から子どもの世話をした里親かベビー・シッターのようなものだと述べている。科学的、医学的な証拠である遺伝子分析の結果こそが、母であることを立証する唯一の正当な証拠であり、ジョンソンは子どもにとって遺伝的にはまったくの他人なのだから母ではないという。

この判決に対してジョンソン側が上訴し、一九九三年五月カリフォルニア最高裁判所は、ジョンソンは子どもに対して母としての権利はもたないと、下級審の判断を支持する判決を下した。六人のうちの五人の裁判官の多数意見は、誰が母なのか聚決めるにあたっての決定的な要素は、誰が自分の子どもとして育てる意志で子もめ出生にかかわったかということであるとレだ。本件で、カルパート夫人もジョンソンもともに生物学的には母であるが、自分の子どもとして育てる意志で子どもの出生にかかわったのはカルパート夫人であるとして、彼女を母と認めたのである。

ただ一人の女性であるジョイス・L・ケナード判事は、「妊娠という役割が不当に低く評価されてはならない。妊娠・出産は子どもをこの世界に産み出すための行為であり、妊娠・出産をした女性はたんなる保育器かおりなのではない』という少数意見を述べて、子どもを妊娠し出産した。これまではどこの国でも、子ど。もを出産した女性が母であるという原則が確立していた。アメリ力の判決は、母の定義を出産の母から遺伝の母や意志の母へと大きく変えたことになる。伝統的な母の定義は、生殖技術が発達してきた現在、時代遅れの原則になってしまったのだろう。

次なる発展のために

メイドの需要も相変わらず高い。政府は女性労働者の有効活用を打ち出し、結婚や出産後に退職した女性の再雇用を奨励しているが、既述のように社会的環境が不整備で、女性が仕事に出れば出るほどメイドの数が増えている。外国人労働者の増加にともなう問題は、政府が懸念することにとどまらない。一般のシンガポール人のなかに、労働許可証を持つ外国人を見下すような態度をとる人が増えているのである。冒頭のフィリピン人メイドが冷遇されるのもそうであろう。彼女らは同じ仕事をしているのに他の国のメイドよりも賃金がかなり低く、単純労働者の最底辺を形成しているといってよい。また最近増えている南アジアからの単純労働者に対して、「彼らが集まって建物を汚す」という市民の投書が新聞紙上に載った。新教育制度の下で、政府によって教育程度の優劣のレッテルを貼られるのと同じことを、今度はシンガポール国民自身が、外国人労働者に対して行ないはじめているように思えてならない。

政府による外国人単純労働者の扱いを憂慮し、人権問題として取り上げるグループも、シンガポール国内にはもちろん存在する。シンガポールのカトリック教会や一部の弁護士はフィリピン人メイドの救済活動に熱心であった。しかし、一九八七年五月~六月の治安維持法発動で、彼らのほとんどが逮捕されてしまい、それ以後活動は事実上ストップしている。女性団体AWAREは、活動の一つにメイドの人権侵害を掲げ、ヘルプラインという電話相談も受けつけている。しかし、AWAREのリーダーも家事はメイドまかせという女性たちであるため、問題追及の手は弱いようだ。外国人労働者を学歴や能力で歴然と区別するシンガポール政府。シンガポールにとって有用な人物は優遇し、それ以外は単なる「景気の緩衝装置」としてしか見ない彼らのやり方は、今後も続くであろう。一九九一年、シンガポール政府は、『シンガポールの次なる発展(The Next Lap)』と題する本を大々的に出版した。

豪華な装丁のA4判、全一五〇ページ余のこの本は、シンガポールの歴史や現状を美しいカラー写真や表などとともに説明しながら、次の発展に向けて何が求められているのかを国民にわかりやすく語りかけている。すべての国民が手にとれるようにと、英語版のほか、華語版、マレー語版、タミール語版も用意され、関係諸機関に無料で配られ、また書店には安価で山積みされた。善良な息子や娘たちが全霊を注いで互いに助けあっていかなければシンガポールの発展はない。国家の生存は彼らにかかっている。彼らに前進がなければ、未来はどうなるのだろうか?国民は私(政府のこと)とともにさらなる発展をめざそうではないか。これは本の冒頭に掲げられた。政府から国民へのメッセージである。人民行動党政府の「生き残りのイデオロギー」は、一九六五年の独立時も今も基本的に変わっていない。

政府が国民に求めるのは、シンガポールを経済的、社会的、文化的により繁栄させるための政府の政策への支援と理解であり、その目標実現のための愛国心と献身である。驚異的な経済発展を遂げ、先進国入りも近いとされるシンガポールの政治体制は、近年世界の注目の的となっている。以前は経済的な成功を称賛する記事が主であったが、最近では人民行動党の一党支配に批判的な記事も多い。すでに紹介した、販売数を極端に制限された「タイム」誌の記事は、野党党首ジャヤラトナムに対する人民行動党政府の扱いを批判したものであった。このような外からの批判に対する人民行動党政府の答えは、「アジアの民主主義は欧米の民主主義とは異なる」というものである。つまり、「アジアのほとんどの国は、植民地支配を経験し、その負の遺産を持って独立した。経済建設を進める上での困難さは、欧米各国とは比べものにならない。それに加えて、民族、人種、宗教問題、国境線の未確定など火種は尽きず、国家統一はままならない。

このような状況で、欧米流の民主主義を実践し、言論の自由などを無制限に認めたら、アジアのほとんどの国は崩壊してしまう。アジアでは、ある程度の独裁はやむを得ない」(人民行動党幹部の発言)。一九九〇年五月、東京で開かれたシンポジウムの席上、リー・クアンユーは「民主主義は普遍的な価値なのか?」と問いかけた。彼は、「戦後アジアの多くの国で民主主義制度が取り入れられたにもかかわらず、なぜ定着しないのか?」と問い、その答えとして次のように述べている。「西欧で根づいた民主主義体制は、アジアでは安定した政治を生み出さない。(民族、人種、宗教など多くの問題を抱える)アジアでは、まず、政治的安定が成功への前提条件である。そのためには、学習や勤勉が尊重され、評価されるような、法や秩序の整備が最重要となる。法と秩序の確立こそがアジアで最も求められていることであり、欧米の民主主義制度が求められているのではない」

国営イラン石油会社(NIOC)の設立

第二次世界大戦中に原油生産は減少した。しかし、戦後のヨーロッパの急速な需要増のため1944年以後、生産量は急増し1950年には3千万トンを超えた。第二次世界大戦後、各地で民族主義が高揚した。石油生産に関しても、石油収益の配分が不公平であるとの不満がイラン国内に充満してきた。このような時期の1948年には、ベネズエラが石油会社との間で、政府と石油会社の利益配分をそれぞれ50%とする新しい分配方法を定めることに成功していた。また、サウジアラビア政府もアラムコから同様な条件を獲得した。このような環境で、イラン政府とアングロ・イラニアン石油会社との条件改善交渉は一気に国有化へと飛躍していったのである。1951年4月、石油国有化法案が議会に提議され満場一致で可決され、国営イラン石油会社(NIOC)が設立された。可決後にイギリス人は全員退去し、残された油田や施設の操業はイラン人の手に委ねられた。イギリスはイランの石油が手に入らなくても、イラクやクウェートの増産により補うことができた。

そして、イランの石油を市場から締め出すべく世界の石油会社に対してボイコットを働きかけたのだった。ペルシア湾には英国の軍艦が配備されイラン石油が輸出されることを阻もうとした。この時、唯一イランの原油を買い付けにきたタンカーがあった。それは、日の丸を掲げた出光石油の日章丸であった。出光はガソリンおよび軽油約2万2二千キロリットルを満載して1953年5月川崎港に帰港した。これに関して英国のアングロ・イラニアン石油会社は積荷の所有権を主張し、法廷闘争に持ち込んだが、後日この訴訟は取り下げられ出光の勝利に終わった。この日本の一会社の行為は先進諸国の横暴に一矢を報いた快挙であった。イランの年配の人々はこの歴史的な事実をいまでも覚えており、対日感情にいい影響を与えてきたのである。イランは石油の国有化を成し遂げたのであるが、販売経路を失った石油はイラン経済を混乱に陥れてしまった。イギリスは国有化により損失を受けたため国際裁判所に提訴し、両者間で法廷闘争が続いた。

ここで、アメリカのCIAが策略をめぐらしたのである。CIAの工作によりモサデク首相が失脚に追い込まれる。そして、レザー・ジャーの息子のパラヴィー国王がアメリカの保護のもとに権力を取り戻した。そして、イランの石油生産を正常化させるためにアメリカの提案でコンソーシアムが結成された。石油のオーナーは国営イラン石油会社(NIOC)であり、収益の半分を得る。残りの半分をコンソーシアムのメンバーであるアメリカ、フランス、オランダ、イギリスの参加石油会社で分配するというものであった。メンバー構成とそのシェアはアングロ・イラニアン石油会社40%、ロイヤルダッチ・シェル14%、フランス石油6%、アメリカのガルフ、モービル、スタンダード・ニュージャージ、ソーカル、テキサコが各7%、イリコン・エージェンシーが5%であった。ここに、イラン国営石油会社がコンソーシアムの手を通してやって操業できることになった。また、イランの石油に対するイギリスの独占体制が崩れたのであった。

アメリカはCIAを使ってクーデターを起こさせてイランの石油事業に参入していったのである。この構図は今回のイラク問題と共通するものがあることにお気づきであろうか。1990年代末からロシア、中国等々がイラクの石油開発の利権協定を次々と結んでいった。遅れをとった米国がなんとかこれらの利権に食い込むには、イランのモサデク内閣を崩壊させたように、フセイン体制を崩壊させ、親米政権を樹立することがベストな方法だったのだ。コンソーシアムはイラン南部の特定地域における探鉱・開発・精製・輸送の権利を獲得した。契約期間は25年間であり、各5年間の期間を3回延長することができた。NIOCは石油資源のオーナーであることが確認されたが、コンソーシアムは契約期間中、何の制限もなく操業することができた。

イランの石油国有化は達成されたというものの「イラン人の手によるイラン石油産業の経営」は有名無実となってしまった。こうしてコンソーシアムによるイランの石油支配が始まったのである。ここで、中東産油国の石油支配をひとつの表にまとめたものである。アングロ・イラニアン石油会社はイラン・イラク・クウェートで、ロイヤルダッチ・シェル社はイランとイラクで、ガルフはイラン・イラク・クウェートで、ソーカルはイラン・バーレーン、サウジアラビアで石油利権を手にしていた。そこで、重要なことはイラン・コンソーシアムにはすべての石油会社が参加したということである。つまり、国際石油資本いわゆるメジャーズがイラン・コンソーシアムで会合をすれば中東全域の石油生産を、ひいては市場を、価格をコントロールできるようになったのである。1955年における世界の原油生産量に占めるメジャーズのシェアは92%という高い率であった。

ページ移動